人間というものはどうやっても欲というものからは逃れることはできないだろう。
たとえ悟りを啓いた坊主といえども、自分が生きていることそのものが欲求を満たしているともいえる。
欲望がある限り何かに期待してしまうし、その期待が裏切られれば失望してしまう。仮に期待通り欲求が満たされたとして、その後にはさらに何かに期待してしまう。そうしていずれは過度な期待になり裏切られてしまえば失望してしまう。
つまり、期待してしまうということは失望と表裏一体どころか、期待の先には必ず失望があるといっても過言ではない。
それが失望程度ならまだいいが、絶望までいってしまったら立ち直る事は困難になってしまうかもしれない。
私は何かに期待をして生きるのをオススメしない。
私は勝手に世の中は上手くできていると思っていた。
言ってしまえば、高望みせずになんとなく生きていれば、なんとなく生活できて、なんとなく人生の中でのイベントがあって、なんとなく人生を終える、そういうふうにできていると思って生きてきた。
しかし、なんとなくで生きてきたら今までになんとなくどころか、何ひとつも無かったような気すらする。
その『なんとなく』は知らず知らずに『何か』に期待していたからなのだと思う。
大げさに言ってしまえば運命的な『何か』が人生を変えてくれるような期待をしたり、『誰か』が未来を変えてくれるような気がしていたのかもしれない。
現実的にいえば政治が『何か』を変えてくれると勝手に思い込んで、勝手に日本の政治に失望していく人も少なくないと思う。
言っていることが矛盾してしまうかもしれないが、政治に期待するなとは私は思わないが、政治に失望はするなとは思う。
では、何にも期待しないで生きるのを推奨しているのかというと、そういうわけでもない。
冒頭で述べたように人間は生きている限りは、欲求と共存していくということだろう。
じゃあ何に期待して生きるべきかというと、結局のところ『自分自身』なのである。
もう少し枠を広げるなら、自分のチカラが及ぶ範囲程度に期待するぐらいでいいだろう。
自分に期待すればその分努力するし、その分の努力の結果が返ってくるだろうし、その分の失望も戻ってくる。
自分に過度に期待すればその分過度に努力するだろうし、その分の努力の結果が返ってくる。それに対しての失望の度合いも大きいだろう。
自分自身なら自分に見合った期待の量も把握しているだろうし、自分で受け止めきれない量の失望が返ってきて、失望を超えて絶望になってしまうことも無いだろう。
これに関しては『エネルギー保存の法則』が成り立っているといってしまってもいいのかもしれない。
今後の人生に関しては『何か』という抽象的なものではなく、『自分』という具体的かつ明確なものに期待して生きるのをオススメしたい。
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